szkがVJやITや、趣味のゲームや自作PCのはなしをするところ。最近バイクをはじめた

すげー今更シン・ゴジラみたら序盤から頭が痛かった

愚痴交じりの駄文です。

こんにちは、szkです。

今更シン・ゴジラをちゃんと見ました。
よくできてました。
何がよく出来てたかというと、日本組織の在り方です。

同時に私が会社で感じる鬱憤のようなものを体現し、強い頭の痛さを感じました。

1.無駄に多い会議
2.無駄に多い承認フロー
3.責任押し付け合いの、責任逃れ椅子取りゲーム

私のいる会社もこればっかです。
なんなら、”既定路線の会議”ならまだよいのかもしれません。
既定路線すらなく、「ただやれば仕事をしたと認められる会議」が乱立し、その内容は自席で済む内容のものがほとんどです。
そして最終的に決定はせず、責任はうやむや。
「誰が何をするのか」も決めずにその起源も無い。
最終的に誰かの責任が危うくなったら「アレ、どうなっている」と下に押し付け責任を逃れる。

そんなのばっかです。

「ここで意思決定しないと大きな損失が出る」というときも偉い人は全くその意思決定をしません。
いや、「意思決定をしない」という意思決定をするのだと思います。
自らの役割、すなわち”分掌”に明らかに適応される内容のもの以外は一切決定せず。
さらにはその分掌には穴があり「誰も意思決定ができない事項」が多すぎる。
その場合の意思決定は年度を超えた4月です。

耐えきれません。

シン・ゴジラでも矢口が前半の会議に水を差して怒られていました。
毎日があの感じです。
私は矢口が正しい判断をしたとは思っていません。
ヤシオリ作戦は核兵器と多段展開できる作戦として、実行するという意味なら解ります。
ただ、矢口はなんとなく「核兵器を国に撃たせたくない」という何かこう、感情論的な部分が前に押し出されていたような気がするのです。

そしてそれに賛同する人も多かった。

作品を通して、日本の組織に対するアンチテーゼを表し、淡々と論理的に作戦を進めていた矢口が
事の最後に、”なんとなく否定されるべき存在”にされてしまったような気がしました。
組織としての同調と、集団意識に取り込まれてしまったように感じたのです。

1960年生まれという、絶妙な世代の庵野監督だからこその表現なのかもわかりませんが
なんとなく平成生まれの私には気持ち悪さの残る作品だったと思いました。

伝えたいメッセージが「日本よ、もう少し変わっていこう」なのか「若者よ、現実を見よ(同調せよ)」なのか
最後の最後にわからなくなりました。

もしかしたら、こういう「曖昧さ」も含めた作品なのかもしれません。

年功序列、組織構造、曖昧さ。これらを「美徳」とする文化。

今の私を歳悩ませる会社という組織。
それを華麗に描いたこの作品。

息苦しい自分の今を作品から感じずにはいられず、思わず文章にしてしまいました。
甘いでしょうか?私は
また、他の会社はどうなのでしょうか。

スケールの小さいこと、甘いことを言っていることは自覚しています。

答えはないのかもしれませんしあるのかもしれません。
けどこの文章を私から引き出した時点で非常に良い作品だったのだと思います。
そして、映像的には大満足でした。

PS:ITエンジニアとして働いておりますが、いい会社を知っている人がいましたら教えてください。

 

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