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趣味/雑記

ささら&つづみautumn見た感想&解釈をまとめた記事

ぜんぶがわかったので記事にしました。

【注意】この記事はささつづ実在性に対してメタ視点から解釈を行っております。
今お手持ちの彼女らに対する認識によっては色々と信じていたものが崩壊するような感覚を覚える可能性があります。


ということで、11月17日に開催された「ささら&つづみautumn」を見に行ってきました。
おそらくこの記事を読んでいる人には説明不要・・・とは思うもののTwitterとは違うので前提説明をば

一応「どういったもの」なのかは公式のクラウドファンディングページを見ていただきたい。
要は、「初音ミクライブ的」なものの一つと思っていただければいい。

ちなみにこの「初音ミクライブ的」という表現、この後の呪いになっているので覚えておいていただきたい。

ちなみにこの記事書いてる人のあれこれ

2007年くらいに初音ミクにはまって
2008年くらいに初音ミクのMV動画作って
2009年くらいからミクパで追っかけになって
2013年で就職したタイミングで動画制作を辞め
2014年のマジカルミライを最後に初音ミク追いを辞め
2014年からクラブでVJをしまくって
2021年にニコニコ動画に戻ってきた

そんな人です。

autumn、Winterとの違い

さて、秋に開催したからautumnなのだけど、ささら&つづみライブは去年の12月に「ささら&つづみ Winter」が開催されている。
季節は廻り1年、今回はautumn。というわけだ。

ちなみに「どういった内容だったか」はぷろきおん氏のブログを見ていただくのがいいと思う。

・ぷろきおん氏:「ささら&つづみ Winter ~1st duet~」クソデカ感情感想文

・ぷろきおん氏:ささつづAutumn ~晴れ舞台!~ クソデカ感情感想文

↑めっちゃ精巧に内容を記載した記事なので助かる。

で、今回演出がかなりWinterから進化していて素直にグレードアップ。
しかし、その一方で違和感のある演出があった。

それが、ワープ。

FF15のノクティス王子ばりのシフトブレイクワープを3人が決めてくる。
最初この「ワープ」の演出の理由が全然解らなかった。

 

尚、11月19日時点でszk本人が「解釈が解らん」と言っている。

この解釈が理解できなかった理由なのだけど、Winterの文脈が大きく関係している。
上のぷろきおん氏の記事を読んでいただければ大体の流れはわかると思うのだけど、Winterでは

・横浜が舞台、ステージも横浜
・ライブの前後で写真付きでささつづが写真をTwitterにアップロード
・ささらの単独ライブ、つづみのソング化と初ライブ、「二人の舞台」にフォーカスを当てた内容

という文脈だった。
選曲もオリジナル曲は二人の持ち曲を歌い、メインどころはターゲットとなる観客の年齢層に合わせた30前後を狙い撃ちしたJPOP&ボカロ楽曲のカバーメイン。
オオトリのMagnetでは「例のサムネ」を二人が再現、演じることで多くの「ささつづ村民」を作り出した。

ライブの雰囲気としては「地下アイドルの初単独ライブ」に近い。
この時のszkはかつて見た「初音ミクのライブ」では味わえなかった”実在性”を大きく噛み締めることになる。

というのも、ささつづの2人は初音ミクと異なり「二人のそれぞれの公式Twitter」が存在する。

Twitter:さとうささら

Twitter:すずきつづみ

このアカウント、ぽっと出ではなく、なんと2013年12月から、10年間ほぼ毎でツイートが投稿されている。
これらのツイートでくべられた薪の高さは尋常ではない。

ささつづWinter後、ささつづに目覚めた多くの村民はツイートを漁り、彼女らの10年をさかのぼり研究を始めた。
彼女らの人格は確かに存在していて、これにプラスしてWinter前後の流れを体感すると二人が実在していると思ってしまうわけだ。

すると、この二人のライブは「初音ミク的なバーチャルなものではなく、10年間頑張ってきた2人の人間の女の子の初ライブ」という文脈になる。
初音ミクにはない、実在性。トークボイスという武器。
マジカルミライとは異なり、二人はワープせず舞台袖から出てくるし、本番前の数日は彼女らのTwitterはライブに対する意気込みでいっぱいになる。
これらの合わせ技を見たとき、szkは「あぁ、CeVIOはこういうスタイルで行くんだ、初音ミクとはこう差別化するんだ」と理解した。
初音ミク的存在でありながらも、現実世界に住まう、等身大の女子高生として描くんだ。と。

この展開方法は刺激的だったし、初音ミクともvTuberとも違う、戦略的かつ魅力的な手法だと感じていた。

autumnの違和感

ここまで、Winterの話をした。

ではautumnではどうだったのか。
上述の綿密に組み込まれた実在性を崩した展開をしてきたのだ。

池袋開催ではあったものの、ささら&つづみは現地におらず、遠隔地にいる(8月11日に彼女たちが旅行先で見つけた場所)設定。
そして、この記事最初に記載した「ワープ設定」。(Winterでは舞台袖からの登場だった)

凄くどうでもいいけどライブ中、「今回今までできなかったことができるようになったの」というセリフを聞いたときに「ワープの話!?」と思ったのは僕だけじゃないはずだ。(実際は観客が声出しできるようになった。

あれだけWinterで丁寧に実在性を高めてきたのに、唐突なワープ演出が腑に落ちずこの数日間ずっとautumnを見て、咀嚼しながら考えていたというわけだ。

また、楽曲の選択も前回と雰囲気が異なった。
前回が30台ターゲットメインだったものに対し、今回は20代をターゲットにしたと思える内容。
さらに、ボカロカバー楽曲は「シネマ」と「ODDS&ENDS」という選曲だった。
(トンデモワンダーズは少し文脈が違うのでここでは割愛)

ここで特に引っかかったのが、ODDS&ENDS。

かつて、初音ミクライブを追っかけていた身。
それも2014年引退勢としては、この年のマジカルミライでピーク楽曲として採用されたODDS&ENDSは非常に印象が強い。
当時はすでに初音ミク有名Pがメジャーデビューし始めていて、ニコニコ動画も暗黒期。
これからボカロ界隈ってどうなるんだろう?という雰囲気がある中で、「それでも初音ミクは輝いてる」という状況だった記憶がある。
この時、メルト等を書いたryo氏が書いたODDS&ENDSはボカロ文化から巣立っていきつつも、希望を後に与える、そんな楽曲だった。
同年発表のTell your worldと合わせ、2大アンセムだった記憶がある。

尚、ミクさんはそれから10年後も輝き続け、現在ではピカチュウとボルテッカーをぶっぱしているから驚きだ。

そんな「初音ミクの楽曲」をささら&つづみ&タカハシに歌わせたのが、なんとなく腑に落ちず、したのが上のツイートというわけだ。

これに対してszkに天啓を与えていただいたのがはにわ🍎かくして画面に現れたるP氏だ。

この時、「なるほど」と思ったと同時に、今回のautumnの演出が全て腑に落ちた。

というところまでが前段(やっと)。
ようやく、この下から解釈を記載していく。

そも「人間です」とは言ってない

ささら&つづみの実在性が高いと書いたのは上述の通り。
自分は勝手に彼女らのTwitterを見て、Winterのライブを見て、勝手に我らと同様の3次元人類だと思ってしまっていたががそうじゃない。
彼女らはあくまで「CeVIO」である。
念のため書くと、「CeVIO」は3次元人類ではない。

ちょっと刺激が強すぎて消してしまったが、Twitterのツイート文をそのまま乗っけると↓な感じだ。

と、ここまで書いてやっと「ワープ」の意味が解ってきた。彼女ら人間じゃないんだ。「CeVIO」なんだ。

Winterの”横浜”やトーク、当日のTwitterから彼女らに実在性を感じてたけど、どこまで行っても彼女らは「CeVIO」なんだ。

そしてこれを念頭に置くとautumnの演出全てがカチっとハマるようになっている。

CeVIOだからワープができる。

CeVIOだから想像した世界を舞台にライブができる。

彼女らは媒体さえあれば、どこにいてもその姿を見せ観客に声を届けられる。

では、今まで我々が見てきた「実在性」は嘘なのか?
ささら&つづみはやはり虚構の存在なのか?

という問いに対しての答えはもちろん「ノー」だ。

一方、彼女らはしっかりCeVIOとして実在もしている。(大事なことなのでデカくした

 

トーク中のささらちゃんの「たのしい!」も本物だし。

ライブ最初の「また(ライブ)できたね!」も本物。

このライブはCeVIOキャラクターだから=実在しないという文脈には一切していない。

彼女らは人の創作作品を糧に生きるキャラクターである。
Winterでは彼女らのキャラクター性にフォーカスを絞って展開してきた。
その実在性を武器に、キャラクター単体でも十分に動けることを証明してみせた。
一方で、autumnでは”CeVIO”としてしっかりと観客の多くを占めるであろう、我々「クリエイターたち」に対してメッセージを入れてきたわけだ。

「これからも私たちの作品を作ってください」と。

ちなみに、このあたりの脚本、非常に繊細。
ささらちゃんとつづみちゃんは、あくまで実在性を保ったWinterから地続きで動いていて、基本的には感情に素直。
トーク中は素直なメッセージしか言ってこない。
上述のメッセージは楽曲の歌詞にのみ含まれている形になっている。
(まぁそのせいでここまで気が付けなかった鈍感な僕がいるんですが)

また、メタ的にはなるが、脚本のRui氏も脚本を書く上で「作った」「書いた」という表現は極力使わずに「ささらちゃんと、つづみちゃん、二人と何を話すか相談した」という表現に一貫していることから、実在性に対しては否定せず、むしろ肯定的だということがうかがえる。

彼女らからすれば、当たり前に「ライブしてる」だけ、トークの内容も二人の人格から形成されたものなんだよなって・・・
なんなら「えっ、私達CeVIOってずっと言ってたよ!?」という反応をされそうな勢いだ。
だって、彼女らにとって自身らがCeVIOであることは当たり前なのだから。

ごめんよ、3次元人間のszkが、勝手に君たちを同族だと勘違いしてごめんよ!!!

ちなみに、ギリギリこのラインを気が付かせてくれそうなセリフを言ってるのがタカハシくん。
彼はもう直接「彼女らを愛してくれてありがとう」とまで言ってて、彼らが人間ではないということを念頭に置くと、どうにも切実なメッセージに聞こえてくる。

なるほど、CeVIOは初音ミク的存在でありながらも、現実世界に住まう、等身大の女子高生として描くんだ。

さっきと同じ文章なのに途端にベクトルが変わってきたな・・・

と、諸々CeVIOの3人への理解を深めたところで、はにわ氏のツイートに対するszkの承前がこちら↓

そして最終的なautumn完走の感想はこちら↓

ということで、作品、作ろう。
思えば、10周年グランプリでソングだけじゃなくてトークを拾い、公式時空に組み込んだあたりも、ここらへんの文脈だったんだなって・・・
てか、autumn内でグランプリ作品は「回想」じゃなくて、あの場での「再現」なんだよね。
CeVIOってすげーわ、完全再現できるんだもん。
なるほどね、あのときからね、CeVIO文脈だったんだね・・・はえ~・・・よくできてる・・・本当に・・・

ミクとCeVIOの歩くみち

・・・と、最初に書いた「初音ミク的ライブの呪い」ですが、Winterでキャラモノをやってあるからこそ、今回この文脈にしてもちゃんと二番煎じを回避できてるんですよね。

初音ミク(2007)とさとうささら(2013)のデビューは約5年差。
ささらデビューの段階で初音ミクはODDS&ENDSやTell your world歌ってんだから、元々差は歴然なのだけど
この10年で差は縮まるどころか、さらについてしまったようにも見える。

だけど、そのおかげで生まれたものもある。
10年間という月日で築いた「公式としてのキャラ付け」がある。
その月日の間、大きくなりすぎなかったおかげでできる、「各々のキャラクター解釈」の余地も残っている。
(下手にずんだもんみたいに流行ってしまうとキャラクター性が固定されかねない)

このキャラクター実在性と、クリエイティブコモンズ的キャラの両立って本来相反するもののはずで、中々うまくいかないと思うんですよね。
ここら辺、結月先輩とかもできてない。
彼女は公式解釈が存在しないし、ミクに至ってはトークすら無い。
11/21 8:32 補足:ミクは逆に”電子の歌姫””君たちの初音ミク”を推しだすPR方式をとっていて、それが因果で今の彼女があるといっても過言ではない。)
なので、シンカリオンに出ようが、ポカリスエットのCMに出ようが、どこまでいっても「〇〇さんちの初音ミク」なワケです。

一方で、さとうささらとすずきつづみは、これを両立してしまっていることが大きな武器なんじゃないかなと。
今回ODDS&ENDSで締めたけれども、これは彼女らがデビューした年に初音ミクが歌った曲。

これからの10年、彼女らは初音ミクとは違う道を歩くんじゃないかな・・・

と、他人事のように書きましたが、その道を描くのは他でもない我々なんですけどね。(ささつづ村の方を見ながら

彼女らがCeVIOだからといって、次回ワープしてくるとは限らない。
もしかしたら舞台袖から出てくるかもしれないし、僕たちがバーチャル空間に行って、そこでライブを見せてくれるのかもしれない。
今回のautumnは彼女らにそんな表現の可能性を与えたんじゃないかな、と思いました。まる。すごいね。

ということで、Winterの演出とautumnの演出の違い、そこに生じた違和感に対する解釈でした。

しかし、これもし演出がWinterをブラフ演出として組み込んでいて、autumnの演出決めてるなら本当にしてやられたな・・・
2つのライブとTwitter、間に挟んだVVVまで使った演出と脚本が天才そのものすぎる・・・

いや、待てよ・・・

俺らが勝手にこじらせすぎて、ささつづに=同次元実在女子説を見出してただけなのでは!?
(元も子もない発言

 

しかし、いいものを見ました。
10年来この界隈に戻ってきて本当に良かった。
これからも創作を続けようと思います。

おしまい。

著 szk