Loading...
ツーリングバイク関係

VT250スパーダで行く九州5泊7日ガバツー_2日目:別府→阿蘇経由で宮崎

2日目をスタート。
快活処女を散らしたszkだったが、結構よかったな。
シャワーは使ってないけど無料で使えるっぽいし、素泊まりの宿だと考えれば弱点はフラットルームのマットレスがしょぼくて寝づらいくらいで他はほぼ満点。
とりあえず駆け込み寺的にも使えるしこりゃバイク乗りが多様するわけだ。

というわけで本日は次のようなルート撮りとなった。

ちなみにあらかじめネタバレしておくとこの日が一番つらかった。
というのも、この日は土曜日でありコロナ自粛を抜けた今宿が埋まる可能性があると思って予め東横インを予約しておいた唯一の日がこの日。
場所は宮崎なのだがszkは大分→宮崎の距離を完全に見誤っていた。

九州は広い。
そんな事実を”おみまい”された日が2日目となるぞ。

別府へ

まずは福岡県を脱出して大分を目指そう。

まず九州の道路事情について記載しておこう。
九州の高速道路、バイパスは正直面積や発展している土地と対比したときに十分とは言えない。
上の図を見ると「おっ、割と高速道路通ってるじゃん」と思うが上の高速道路はほとんど対面通行のバイパス経由だし、今日走る福岡→大分→宮崎の東九州道に至ってはまだメインパスすら開通していないという有様だ。

後に記載するが、まぁ皮肉にもバイク乗り的にはこれが九州の道を「良く」している一因でもあるわけだが・・・

とりあえず去年は高速を多用しすぎて6日予定が4日で終了してしまったし、今回はもっとゆっくり回りたい。
九州の東側に高速道路は無いし下道で走ったろ!初日だしな!

ということで走ってみる。

福岡行橋から大分までの海沿いはずっと街が続いているため上のような風景が続く。
というのも現代社会において関東に住んでいるとあまり意識をしないが、歴史的において福岡県と大分、そして宮崎という別府湾を囲う3県はかなり由緒が正しく書物的にも8世紀にはそれなりの発展をされていたとされ、鎌倉時代には源氏によって重点的に開発。
戦国時代も有力な大名による争いも盛んと古くから人が住み、発展を続けてきた土地と言える。
一点集中型の中部地方や開拓自体に組織的な力が無かった東北の北部。
そもそも開発自体が歴史的に遅かった北海道と比べると九州は街の密度が高いことが伺える。

尚それをもってしても有り余る土地の広さには驚くばかりで、地図上一見近場に見える行橋から別府も距離にすると80㎞。

これは関東換算だと東京→小田原(箱根)までの距離とほぼ等しい。
北九州&福岡という福岡県の中心部から離れた行橋からカウントすることを考えてその間街が途切れないというのはやはり九州北部の居着のつよさを感じられずにはいられない。

と考えながらツーリングするszkであった。

といっても流石に国東半島の険しい山岳部は人が少ない。
しかし道はきっちり整備されておりなにより保線状態が良い。埼玉だったらデコボコだぞこの規模の道。

国東ってやっぱり豊後の国の東だから国東なんですかね?

とか言ってる間にウェミダー!

海が実にキレイ。

ちなみに別府の街は普通に街。
関東的に言い方を変えると「さびれてない熱海」って感じの街だった。
「別府タワー」なるものまで存在し結構発展してました(失礼

豆ではあるがこの別府タワー。名古屋テレビ塔やさっぽろテレビ塔。
通天閣や東京タワーと設計者が同じ(内藤多仲氏)らしい。ほえぇ~

地獄めぐり

折角別府まで来たし寄ってみよう。ということで地獄めぐり。

この大分県の別府にある「地獄」。いわば硫黄質の間欠泉であるわけだがその歴史は少々ユニーク。
関東では草津周辺の硫黄質岩盤が有名で、硫黄質は周りの草木を枯らしてしまうという特性がある。
これは過去のツーリングでも行っている殺生石を始め歴史的にも”硫黄”というものは負のイメージが強い。

別府においてもこれは同様で明治に入るまでは農耕にも適さず、雨が降り泉が氾濫すれば周りの田畑を荒らすなど硫黄質は毛嫌いされていたようだ。
しかし明治時代になってこの泉を買い取り観光地として売り出す者が現れる。
「地獄が金になる」という話になり別府周辺の間欠泉のある地主は間欠泉を広げそれぞれ地獄を作ったそうだ。

さらに大正時代に入ると自動車が世に進出。
勾配のある別府の街をバスが通るようになり観光地としての人気が浮上し”地獄めぐり”が誕生。
その後は戦中、昭和平成と今に至るというわけだ。

そのせいか地獄めぐりはいくつか存在する施設を転々と巡る変わったシステムになっている。
山地獄に500円、海地獄に500円・・・血の池地獄に500円とめぐるごとに課金されるシステムが基本だ。
もちろんフリーパス的なものもあるので全部めぐるという人はこれを買うと良い。
ちなみに1施設も”地獄だけ”というわけではなく、山地獄は小さい動物園が併設。海地獄は植物園が併設・・・とそれぞれ特色がある。
正直全部めぐっていたら1日では足りない。
ということで今回は海地獄だけ入ってみたぞ。

海地獄の入口。
最近リフォームされたようでかなり小奇麗になっている。
「昔ながらの観光地」みたいなのではなさそうだ。

園内は植物園のような温室が併設。
蓮が推しらしく池の中に立派は蓮が浮かんでいた。

温室の蓮が丁度開花していた。

ということで海地獄。
海の名前に恥じない青色の泉だ。
これは硫酸鉄が溶けだした結果。見た目と裏腹にその温度は98度と高音だ。

じゃ・・・僕温泉卵とプリン食べるから・・・(朝飯

温泉卵はちゃんと望んだ「温泉卵」になっている。
口の中に広がる硫黄臭が「これこれ」という気持ちにさせてくれた。

ちなみにプリンは味は普通。決して温泉卵のイメージで食べたらだめだぞ!
尚プリン本体よりもカラメルのほうがうまい。なんならカラメルは歴代食べたプリンでもかなり上位。もうこれわかんねえな。

ちなみに海地獄の中にも赤い泉はあるんだよなぁ・・・これもうわかんねぇな(2回目

やまなみハイウェイ

ひとしきり別府は満喫したと判断し九州の名道と呼ばれるやまなみハイウェイに向かおう。
別府からそのまま海沿いを走っても良いのだけど天気もいいし湯布院から阿蘇に出てそのまま宮崎に出るぞ!

別府の街は西を向くと壮大な山々が見える。
「今からあの山登るぞ!」感があって非常に好き。
これは他の土地ではなかなか味わえないな

20分も走るとすっかり高原の様相に。
別府→由布院の道良すぎるぞ

さらに10分後、由布院の街が見えてきた!
目下に見える街を望みながら気持ちのいいワインディングを駆け抜けるのは控えめに言っても最高。

由布院

ということで到着です。

ちなみに由布院には「湯布院」と「由布院」という二つの表記がある。
これは過去の市町村合併によって「由布」と「湯平」が合併し「湯布」となった等の歴史的背景として存在していたりする。

ちなみに大分はこの手のややこしい名前が多く、この後行く阿蘇との連結地点である「九重」と「久住」もその一つ。
ちなみに「九重」は「ここのえ」と読むのだが、この九重地域を構成する山の名前として「九重連山」があるがこれは「くじゅうれんざん」と読む。
さらに「久住」という表記は元々「直入(なおいり)」と「郡久住(くじゅう)」の2つの町が合併し「久住(くじゅう)」となった経緯があったりする。
その一方で上の九重連山の最高峰である「久住山」は「くじゅうざん」だったりと、もうこれわけわっかんねぇなオイ。

山の名前からすると恐らく「九重」を「ここのえ」と呼ぶのが新参な気もするがどういった経緯があったのかは気になるところだ。

というわけでせっかく大分に来たので温泉に入るぞ。
大分の別府と言えば「硫黄」のイメージが強いが、実際大分は現在認められている10種類の温泉のうち8種類が湧出する「おんせん県」を自称するに負けない県だったりする。
ちなみに大分で入れない温泉は「含よう素泉と放射能泉」だけだ。
さらに言うと8種類のうち7種類は別府でコンプリート出来るのだからこれまたすごい。

ということで今回入ったのはこの温泉

由布院は温泉旅館が多いものの日帰り温泉をやっている場所は(割合として)多くない。
本当に満喫するならやはり由布院で1泊するのがよさそうだった。
というか色々回って分かったけど九州でバイク旅をするときは由布院を拠点としてめぐるパターンと、鹿児島の霧島を拠点として周辺を巡るパターンが一番良さそうだと思った。
これから九州に行く人は参考にしてください。

さて、肝心な温泉だがこの山水館さんは単純温泉。シンプルな温泉で硫黄臭はしない。
面白くはないけど、まぁバイクで硫黄質の温泉に入るとヘルメットがこの先大変だから多少はね?
貸しタオルなどは無く、フェイスタオルは入浴料金700円に含まれる。
バスタオルは買い切り410円だ。
シャンプーなどは浴室据え置きなので用意の必要はない。

入った時間は大体11時ごろ。人はおらず完全に貸し切り。
結局1時間くらい入ってしまった。


この景色を見ながら流れる雲を眺めてゆっくりつかる風呂、最高なんだよなぁ

昼ご飯

さて、12時もすぎたしそろそろ昼飯を取ろう。
どこで何が食べれるのかな~と検索すると結構オハイソな高級料理ばかりヒットして敷居が高い。
Twitterでパブリックサーチして「由布院 昼飯」とかいうガバ検索したら出てきた店に行きました。

というわけでやってきたのは上の温泉からバイクで3分の「たけお」。
これを「何屋さん」かと言われると中々にジャンル分けが難しい。
居酒屋のような定食屋のような・・・ いちばんしっくりくるのは「おばあちゃんち」だろうか。

閉まるギリギリだったが入れてもらえたのでお食事にありつけそうだ

店内の雰囲気はこんな感じ。
囲炉裏の後ろに板前カウンターがあり、それを御座で囲むというスタイル。
ここで飲んだら楽しそう、そんな構造だ。

ちなみに奥にテーブル席も1席あった。

コロナ対策でパーティションが貼ってあるがこの奥で店主が料理する姿を見ながら食事ができる。
水槽には魚が泳ぎ、壁にはよくわからないオブジェクトや由布院の写真や絵が飾られる。かなり雰囲気良いぞこれ

ということでいただくは「たけお丼」。
メニューを見たときに色々あったのだが、「とりあえず一番上にあるメニューは自信作ということだろう!」という経験を活かしこれにした。
酢飯の上には細切れにされた「ローストビーフ」「サーモン(多分)」「ネギ」「卵」「ノリ」などが大量に乗る。
そこに出汁をかけていただくスタイルのどんぶりだ。
出汁といってもお茶漬けに比べると味は濃い目で使い方的には醤油に近い。かけすぎると味が濃くなってしまいそうだったのでほどほどにだな。
というかこれ具材が多すぎて何が入ってるのか全然特定できないぞ。肉と魚が入ってるだけでも情報過多なのに、大丈夫なのか?
と思って食べてみるとこれが奇跡的に味が調和する。やっぱネギとノリってすげーわ。
正直週一ペースで食べたくなるくらいにすっごくおいしい。

基本はちらし寿司なのだけど、魚介がメインというわけではないので結構ガッツリ系。
魚と肉はさながらランダムポップするイベントのような感じで毎回毎回口の中が飽きないそんな丼ぶりだ。
さらに赤だしの味噌汁はなんか懐かしい味がするし漬物もおいしい。結構量も大ぶりにもかかわらずペロっと平らげてしまった。
あと1杯はいけたな。

宮崎へ

さて、腹も膨れたし宮崎に向かおう。

ここから宮崎はっと・・・

246㎞ 

240㎞というと東京から浜松までの距離とほぼイコール。
これを下道で行くってんだからもうたいへん!私達どうなっちゃうの~!?

まぁ、焦っても仕方ないのでとりあえずはやまなみハイウェイを南下していこう。

というわけで途中色々寄りはしたが17時時点でやまなみハイウェイを踏破。
ここから宮崎を目指していく。

寄り道は動画とかにできたらする(するとはいってない

というかこの時点でまだ200㎞余り距離が残ってるのおもしろいよなぁ!もうすぐ日没だぞ!

綺麗な夕日を見ながら走り・・・

日が暮れました(1敗

こいついっつも日暮れ後まで走ってんな

というわけで今回も初日から早速しでかしました。

尚普通にクッソ寒くガタガタ震えてきたので近くにあったセブンに停めてハクキンカイロを始動。
ついでにネックウォーマーも巻いたろ!

やっぱり転ばぬ先のハクキンカイロなんだよなぁ

夕飯

なんだか無性に肉が食いたくなったので延岡のハンバーグ屋さんへ。
宮崎つくのは22時頃なので店とかやって無いです。

良さそうな店があったから入ったろ!

「(阿蘇から延岡まで走って)疲れましたか?」

szk「全然」

この店のハンバーグは関東民的に言えば「静岡のさわやか」スタイルのハンバーグ。
ちなみにステーキもあるぞ。

メニューは「ご飯・味噌汁」のセットが基本で単品の場合は割引というスタイル。
今回は「ちょっと多め」にサラダを追加、これで確か1700円くらいだった気がする。

見た目的にも「さわやかでいいじゃん」という人がいそうではあるが、この店が特徴的なのは「柚子胡椒を付けて食べる」というところ。
正直これが圧倒的においしい。

和風のオニオンソースと柚子胡椒。肉の組み合わせはばつ牛ンであり、個人的にはさわやか以上のおいしさを誇るハンバーグだなと思った(小波感

ホテルへ

ビジホっていいよな!チェックイン時間が遅くなっても気を使わないもん!

とはいうが単純に明日の活動時間をこれ以上削られたくないので東九州道つかいますねぼく!

対面通行なのに80㎞/hまで許されている東九州道は80㎞で走ると後ろから煽られるぞ!

ということで21:55。無事にゴールの宮崎駅へ到着。
明日からは距離ガバするのやめよう(やめるとは言っていない

なーにが「距離は少な目」じゃ。
ほぼall下道で 東京→名古屋と同じ距離走ってるの正気の沙汰じゃないんだよなぁ・・・

というわけでつづく!